健康ってすばらしい

子宮体がんサバイバーの随筆

最後の言葉

こうして、R-◯と自己暗示に一心不乱に頼り、

ひたすらに免疫力を応援し続けた結果、

少しずつ炎症の数値が下がり始め、

平熱に戻った時にはもうクリスマス間近になっていた。

 

ありがとう、R-◯!

ありがとう、免疫力!

 

生涯で初めて自分の自然治癒力の働きを実感した1週間であった。

 

さて、話は遡り、手術当日。

人生初の手術に際し、未だに現実味がなくふわふわしていた私。

 

手術用の服に着替えたり、

病室から手術室まで歩いていっている時も、

(ドラマみたいにベッドで移動するんじゃなくて歩くんかい。)

となんだか他人事のように感じていた。

 

そう、あの時までは。

 

看護師さんのあとに続いて歩く私。

私の後ろには旦那と母。

全員無言。

 

そして手術室の入り口に到着し、

看護師さんがこちらを振り返り言った。

 

「これが最後になるかもしれませんので、

ご家族の方、なにか言葉をかけてあげてください。」

 

「これが最後」

 

一気に押し寄せる現実。

パート先に急に手術することになったと告げ辞めた時も、

旦那に通帳の引き継ぎをした時も、

いろいろ手術のリスクを聞いた時も、

感じなかった現実。

 

真っ先に頭に浮かんだのは、

(なんでそんなこと言うん。)

 

もっと希望がもてるようなことを言って勇気づけてほしかった。

「ご家族のみなさん、きっと大丈夫ですから、待っててくださいね〜。」

とかなんとか。

 

でもきっとこれが現実的な優しさなのだ。

現実的に本当にこれが最後になることもあるのだ。

 

しかし言葉が出ない。

 

旦那と母の顔を見てしまった。

見なければよかった。

よけいに言葉が出ない。

 

「待ってるぞ。」

旦那が言った。

「いってらっしゃい。」

母が言った。

 

うなづくのが精一杯だった。

 

旦那よ、よくぞ言葉が出た。

逆の立場なら言葉が出ただろうか。

最後になるかもしれない旦那に対して、なんと言えばいいのだろうか。

 

母よ、どんな気持ちだっただろうか。

家族4人のうち、自分以外の3人を手術室に見送った母。

 

みなさんなら何と言葉をかけるだろうか。

自分の大切な人に。

「これが最後」と言われたら。

 

でも最後の言葉をかけてもらえるだけでも贅沢なのかもしれない。

それすら叶わないこともあるのだから。

 

そして手術が終わり徐々に意識が戻って来た時、

真っ先に頭に浮かんだのは

(戻ってこれた!)

喜びを噛み締めた。

 

次の瞬間、

「意識戻りました!移動します!」

「1、2、3、!」

ドン!

 

大きなタオルケットにくるまれ、

手術室のベッドから病室用のベッドに移された。

その時にはもう、

(あ、これドラマでよく見るやつだ。)

と、またふわふわと現実感ゼロで

病室に運ばれるのであった。